世界の黒歴史。優生思想について

めっちゃくちゃ考えさせられる。

世界の黒歴史。重い。

優しさや配慮に遠慮してしまう根底にはコレがあるのかもしれない。

仕事が出来なくなったばかりの頃、僕のコンプレックスだった。

優生思想、優生学、優生保護法

優れたものを残す。優れてないものは残さない。

日本では戦後1948年優生保護法ができた。

断種。

障害者、特に女性の障害者に避妊手術の強制。

そこに本人の同意は必要なし…

実は、仕事ができなくなってすぐ、相模原の事件が起きた。

犯人の話は完全に優生思想。

人生で一番ショックだった。

話を戻して優生思想についてだが、日本の法律「優生保護法」だが、1990年代半ばまであった。最近まで…

この考え方は日本だけでなく、当時は世界中であった考え方、それも良い考え方として…

優生学会なんて国際的な学会もあったほど。優生思想が当時のスタンダードだったんだろう。

僕は1979年生まれなので優生保護法の終わりを見ているはずなんだが、優生思想の間違いなど、そういう記事や報道を目にしていない。(僕が知らないだけなのか?)

でも、そういう反省がハッキリないのに今のような福祉制度があって、人の優しさや社会の雰囲気にまでなっていることをすごいと思った方がいいのか…

穿った見方をするなら、ダイバーシティ、インクルージョンバリアフリー、ユニバーサルデザインも、なんだかんだ言っても、ビジネスの世界から浸透してきてて、その方が儲かるからなんだろうか。

なんか悲しい。

でも、儲けがないと何も続かないのは分かってる。ここで「儲け」の話までするつもりはない。話がとっ散らかっちゃう

自分の主観を長々と語って「考えの押し付け合い」もしない。だからなんか悲しいとだけ書いた。

そういうこともあり、当時を生きた障害者の人、凄いなと思うし、優生思想を否として、障害者福祉を変えた人たちや、変化を受け入れた世間も凄い。有難い。障害者として辛い辛いとは言いながらも今を当たり前に生きられることに感謝。

相模原での事件はとても悲しく、僕にとっては辛いタイミングだった。当時は事件に、犯人の思想に、ドン底まで引きずり落とされた気持ちだった。

それから色々あったし、病状はさらに進行している。それでも『障害で私の価値は変わらない』と信じられるようになった。

あなたもきっと「障害であなたの価値は変わらない」あなたがそう信じられるならきっとそうだ。

ちなみに優生思想による強制的な避妊手術。日本では約18000件。福祉で有名なスウェーデンでは、約60000件と言われています。(本人の同意有無含む)