幸せになる方法の話ではありません。なり方、ではなく在り方。幸せな自分でありたいという思いで
- 堂々と生きる
- 恥をかいて人にあまえる
という二つの座右の銘があります。
- 幸せな自分であるために心掛けていることhttps://www.guccho-intractabledisease.com/2021/05/01/blog-51/
- beの自信とdoの自信https://www.guccho-intractabledisease.com/2022/06/16/blog-87/
- 堂々と生きるという座右の銘https://www.guccho-intractabledisease.com/2022/06/17/blog-88/
- 恥をかいて人に甘えるというもうひとつの座右の銘https://www.guccho-intractabledisease.com/2022/06/18/blog-89/
- お金以外の資本
幸せな自分であるために、この座右の銘を心掛けています。
具体的には、助けてもらった時に“すみません”じゃなくて“ありがとう”ということを心掛けています。
理由は、2つあります。
ひとつ目は、
2016.6.8に突然仕事(美容師)ができなくなりました。その時は急性期とでも言うのか、ホント日毎に体の自由が奪われて行っているような気分。今となっては少しオーバーだったと思います。(あくまで僕の主観です)でもそのくらいの絶望感。https://www.guccho-intractabledisease.com/profile/
しばらく経って自分に問いかける機会がありました。自分はどうなりたいんだ?(当時はbeの自信とか知りませんでしたので「どうなりたいか?」と問いました)
幸せになりたい!
誰を幸せにしたい?→奥さん、家族、自店のスタッフ、友人など僕と関わる大切な人。
何故か?
大切な人たちが幸せで笑っていて、その中にいれたらきっと自分も幸せだから。
すみませんよりありがとうって言われた方がきっと相手も嬉しい。
2つ目、
相手が嬉しいからって理由は一緒。
僕健常者の頃、困っているっぽい人に声をかけるのめちゃめちゃ勇気がいった。
逆の立場になってみて、勇気を出して助けてくれた人が「すみません」って言われるより(ついつい言っちゃう時あるけど汗)「ありがとう」って言われた方がやってよかったって、やってくれた人も嬉しいと思う。
おかしな事に逆の立場になったら助けを求めるのもかなり勇気のいる事だと気づいた汗
「助けて」も「助けましょうか」どっちも僕には勇気のいる事だった。
おかしな事だと思う。
助けてもらう側も助ける側も声を上げやすい関係。勇気のいる事なのでみんながすぐには変わらないと思う。なので先ずはお互いが「やってよかった」、「やってもらってよかった」になれるよう“すみません”じゃなくて“ありがとう”と言うように心掛けていく。
きっとそれが堂々と生きることや幸せな自分であることにつながると思う。