中途障害の受容。不意に悲しくなるよ…やっぱ

最近以前より病状の進みを感じる。出来ないことが増えてきたってこと。

できると思ってやってみたら思いの外できなかったり、出来ないことに気づいてしまう。

単純なことほど出来ないと情けない気持ちになる。最近じゃ手が暴れるので人前でご飯を食べるのが苦痛(もちろん相手による)。

手の振戦(震え)が一段と顕著になり、不意に手が暴れる。スプーンで一生懸命すくっても、口に運ぶまでに手が暴れ出す。

パクッといってもスプーンは空とか笑 又は、すくった食べ物を四方へぶちまけたりとかね。お皿やお盆の上ならまだマシなんだけど…それを他の人に片付けてもらうとか。

まだ片付けてもらえるだけマシなんだけど。

コップで飲むのも両手で慎重に。飲みにくそうに飲むなって自分でも思う。

小脳失調が原因の手の振戦は、ずっと震えてるわけじゃなくて、目的(ゴール)に近づくと1番震える。

例えば、コップを手に取る。→手に取るがゴールなので掴む時が特に震える。コップを手に取って口に運んで飲む。→口に運ぶがひとつのゴールなので、口をつける時が特に震える。もちろん今では口に運ぶ途中も震える。

転んだりもキツイ。身体的にイタイけど、精神的にもくる。やってらんねーぜって思う。

字も書けない。上手く喋れないので電話は嫌やなぁって思う。

出来てたことが出来なくなる自分に情けなくなるし、肉体的に人よりも早く衰えていくことに悲しくなる。それをわかってもらいたくて大きな声で喚いたり叫んだりしてしまうんだと思う。怒りになってしまうんだと思う。

※障害者だけじゃなくてね。

自分のことをわかって欲しいが怒りの原点かもしれない。この1年間、自分を俯瞰して見たくて大学生した。(1年延長するけど)その中で履修した科目の1つに“心理学”があった。

心理学の中に『障害の受容』という項目があった。障害の受容には、身体的、心理的、社会的といった3つの側面があるそうです。障害の受容への段階は、

  • ショック期
  • 障害を認めない否認期
  • 混乱期
  • 適応への努力
  • 受容

という流れになるようです。納得できるかどうかは人それぞれだと思うけど、僕は割と納得した。

でも、よくよく考えてみると進行性の慢性疾患なので、このサイクルも一回では済まない。

症状が進むたびにリトライ…

果てしなくてとても辛い。周りにわかって欲しくて怒りを感じてしまうこともある。そんな自分でもいい。

幸せな自分でありたいので、なんだかんだリトライしている。

以前にも書いたbeの自信とdoの自信

やり方よりあり方。

自分のことを100%わかってあげられるのは自分。