「情けない。悲しい。」がいつの間にか怒りに変わることを実感

月曜日は病院で、患っている脊髄小脳変性症とバセドウ病の定期診察の日。

9:00から予約。

いつもは8:30には着けるように行くけど、今日は、ちょっと遅れて8:45くらいに着いたが、障害者スペースの駐車場は満杯。

そう9:00から予約なら、8:30までには着かないと障害者スペースの駐車場は空いてないことが多い。

そこはそんなに不満ではないし、怒りにはならないんだけど、

病院職員の「私たちが車いすを押すことはできないので。」との一言目。

今日は駐車したのが障害者スペースの駐車場ではなく、入り口からだいぶ遠い所だったので、「車いすを持ってきていただけないか?」と病院に電話して頼んだ。

予約時間の9:00を過ぎても来てくれなかったので、悩んだけど自分で歩いて行こうとした。

でも入り口までのアスファルトはでこぼこ、駐車場内車と近い距離ですれ違うのでとても怖かった。

途中、ちょっとした凹凸にふらふらと立ち往生していると職員の人が来てくれた。けど、車いすを持ってきてくれていなかったので「車いすはなかったんですか?」と尋ねると「私達が押すわけにはいかないので。」と返答された。そもそも「押して欲しい。」とは頼んでないし、「車いすを持ってきて欲しい」と頼んだけどひと言目でそれかって、なんかモヤモヤして、はじめは「何で!」って怒れたけど、冷静に考えて怒りというより悲しいだった。とても残念なひと言だ。

車いすじゃないと建物にも入れない自分をすごく惨めに感じて情けない気持ちにもなった。

最近実感することが多いんだけど、この“情けない気持ち”ってやつが怒りにいつの間にかすり替わる。

いかんいかん。

相手にも自分にも牙を剥いてしまう。

出来ないのは辛いし情けない。だから“情けない”を感じてしまうのは仕方がない。悪いことではない。

素直に“情けない”“悲しい”を感じよう。

※自分で漕ぐからと車いすは持ってきてもらいました。ってか車いすがないと職員さんの肩を借りなきゃいけないんだけど、職員さんは、若い綺麗な女性でしたので、非常に、とっても残念ながら障害を理由にゲヘヘとはなれなかった…

でも、そういうトラブルも含め、障害者のサポートを考えたら車いすを押せる職員さん増やす方が障害者スペースの駐車場を増やすより合理的な気がするし、「障害者スペースの駐車場空いてなくても大丈夫ですよ」というスタンスでいてくれる方が心のバリアフリーが進んでいる気がする。

でも、要求ばかりではなく、自分の(障害者側の)心のバリアフリー度を上げることも大切だと思う。