身体障害者になってから気づいた不都合 主観的な意見

今の体になって、気づいた事。

むかし健常者だった頃には気づかなかった。

社会が変わったのもあるかもしれない。

けど、健常者のままだったら多分気づいていないと思う。

それは結局のところ、自分に不都合だから気づいた。

だからって怒りや文句を言いたいわけじゃない。

でも、「やってらんねーなー」と思う事はある。正直笑

まあでも社会がユニバーサルデザインとか、ダイバーシティとか、その概念を受け入れて目指していくなら、まあ耳を傾けてくれ。

障害と言っても多様でなので、必要なケアも多様

身体か精神か、事故によるものか病気によるものか老いもか。生まれつきか途中からなのか。

僕の場合、病気が原因で途中からの身体障害なんだけど、進行性の難病なので昔と今じゃ身体障害の度合いも全然違うから、必要なケアも違う。

昔は障害者だと、気づかれないからって杖を買った。カッコイイやつ。

今では、危ないから場所によっては車椅子を使うって状況。

(※僕個人の主観ですので悪しからず。)

学校

古くて遅れてるなって思う所。身体的なケアが必要だなって感じる。個人的に1番しんどいとか、危ねぇと思うことが多い所。エレベーターとか無いのでしんどい。建物的には1番遅れて居ると思う。

銀行

もしかして1番融通が効かなくて、1番遅れてしまったているところが銀行かもしれない。他の銀行のことはわからないけど、僕が利用している銀行はそう感じてしまう。もちろん僕が不都合に感じているだけかもしれない。

僕は字が書けないので「代筆」というケアを必要とするが、基本出来ない。(字は名前くらいは書けますが小さめに数字とかは書くのが苦手。日によっては全然読めない時もある)

ネットバンクを利用していろいろ工夫するも限界がある。家族なら代筆可能とのことなので、用紙をもらって出直すか家族と一緒に行く必要がある。

近所のスーパー

障害者マークのある駐車スペースがあったり、建物は基本バリアフリーなので割と配慮されているんですが、カート置き場が障害者マークのある駐車スペースのすぐ後ろとかにあったらイイな。障害者自ら(1人で)買い物に行く場合もあるので。自分は、今はそんな感じ。(※障害者マークのある駐車スペース障害者に限らずお年寄りや妊婦さんも駐車できるので障害者専用ではなく、譲り合い駐車スペースです。)

また、近所の薬局は障害者マークのある駐車スペースが、店舗入り口の反対側にあるのでついつい「なんでここ?」と心の中でつぶやいてしまう。

障害者マークの駐車スペースからの写真

手すりのない階段、段差、手すりのないスロープ

これも学校。子供の通う学校は(自分も通っていたけど昔は思いもしなかった)建物が古いからスロープに変わってるところはあるけど手すりはない。建物の中の階段には手すりがあるけど、玄関にはない。数センチの段差のある箇所が多い。

手すりのないスロープよりも手すりのある階段。

これよくある。車椅子の時には優しいけど、ふらつき歩く自分としては、手すりないスロープより手すりのある階段って感じ。そもそもスロープも車椅子一台が通れるくらいの幅のとこは、狭くて車椅子になってもきっと怖いと感じるんだろう。

スロープってユニバーサルデザインなっだって⁉︎

うーん。

僕も健常者の頃は、スロープがあれば障害者に配慮してる。だから大丈夫って思ってたけど間違いだった。手すりのないスロープ(坂道)怖い。

「助けて」も「助けましょうか」も言うには勇気がいる事だった

昔、障害者や困ってる人に声をかけるってとても勇気がいる事だった。

いま障害者になってみて「助けて」て言うのも勇気がいる。だから、事前に助けて欲しいことを言うって大事だけど全部言うって難しいししんどい。

その時になってみないと分からない事もあるし、ブロックがかかって言えないこともあるだろう。

大事なのは、助けて欲しい時に「助けて」って言いやすいフェアな環境・関係作りが大事で、それは、障害者側からも健常者側からも、関わるすべての人が取り組むとイイと思う。