あの日から10年。僕が今、思うこと。

まず初めに、津久井やまゆり園事件で犠牲となられた19名の方々のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
また、負傷された26名の方、ご遺族の皆さま、そして今もなお深い悲しみを抱えながら過ごされているすべての方々に、心よりお見舞い申し上げます。

毎年この時期になると、あの日のことを思い出します。

事件そのものの衝撃はもちろんですが、僕にとっては、自分自身の人生と重なってしまったことが、今でも忘れられません。

事件の約1か月前、僕は難病の進行によって美容師として仕事ができなくなりました。

日曜日までは普通に仕事をしていました。
月曜日、火曜日と連休を挟み、水曜日。
いつものようにお客様の髪を切ろうとハサミを持った瞬間、手が震えて切ることができませんでした。

夢なら覚めてほしい。

本気でそう思いました。

美容師にとってハサミが持てなくなることは、仕事を失うだけではありません。

自分のアイデンティティーを失うことでした。

お客様に喜んでもらう。
売上をつくる。
家族を養う。
スタッフを引っ張っていく。

それまで当たり前だったことが、一気にできなくなりました。

仕事はできなくても、お腹は減る。
生きていればお金もかかる。

「自分にはもう価値がない。」

そんな思いだけが日に日に大きくなっていきました。

誰かに相談しても、何も解決しない。

むしろ相手の時間まで奪ってしまう気がして、相談することさえできなくなりました。

「このまま、そっと消えてしまいたい。」

そんなことまで考えていた時に起きたのが、津久井やまゆり園の事件でした。

犯人が語った「生産性のない障害者は生きる価値がない」という趣旨の言葉を知った時、怒りよりも先に浮かんだのは、

「それって、今の自分じゃないか。」

という絶望でした。

被害者の方々のご冥福を祈る余裕さえありませんでした。

ただ、深い悲しみと絶望の中にいました。


あれから10年。

今なら、あの頃の自分に伝えたい言葉があります。

「美容師じゃなくても、あなたの価値は変わらない。」

実は、当時も大切な人たちは何度も似たような言葉を掛けてくれていました。

でも、あの頃の僕には聞こえませんでした。

信じられなかったんです。

「自分には価値がある」ということを。

だから今、同じように病気や障害、仕事や家庭の事情で「自分には価値がない」と感じている人がいたら、その気持ちは決して特別ではないと思います。

僕も本気でそう思っていました。

でも今は、少しだけ違う景色が見えています。

美容師として直接お客様を笑顔にすることはできなくなりました。

それでも、誰かの役に立てないわけではありませんでした。

障害があるから見える景色があります。

経験したからこそ伝えられることがあります。

そして何より、多くの人に支えられて今の僕があります。

昔は、人に助けてもらうことが申し訳なくて、「すみません」としか言えませんでした。

でも今は思います。

手を差し伸べる側にも勇気が必要です。

だからこそ、「すみません」ではなく、「ありがとう」と笑顔で伝えたい。

その方が、お互いにうれしい。

そう思えるようになりました。


障害があっても、なくても。

仕事ができても、できなくても。

人の価値は変わりません。

だから僕はこれからも、堂々と生きます。

堂々と外へ出かけ、堂々と食べ、堂々と笑い、時には堂々と落ち込む。

障害者だからと遠慮して小さく生きるのではなく、権利だけを声高に主張するのでもなく、人の優しさに感謝しながら、自分らしく生きていきたい。

あの日の出来事を忘れません。

そして、あの頃の自分の苦しさも忘れません。

だからこそ今、自信を持って言えます。

障害で、あなたの価値は変わらない。

そして、それは昔の自分にも、一番伝えたい言葉です。

(画像は障害当事者の地方議員です 参議院会館にて)

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です