今日は命日より少し早めの祖母の3回忌。https://www.guccho-intractabledisease.com/2020/07/12/blog-19/
2年。あっという間やな。コロナ禍だからかホントあっという間。
改めて祖母に感謝。
昔を生きた先人たちにも感謝。
祖母も同じく脊髄小脳変性症でした。
僕が産まれてすぐ、祖母の罹患がわかった。当時脊髄小脳変性症と診断されたかは分からない。
知っていますか? 今日本において障害は、
- 身体障害
- 精神障害
- 知的障害
の三障害に規定されていますが、規定されたのは、1970年。この時は、身体障害と知的障害の二障害に規定されました。精神障害が加わって三障害と規定されたのは1993年。まだ最近です。
時代を遡って見てみると、障害者への理解、知識。そもそも障害の認知。明治初期の初めてできた障害者に対する法律でも“変なやつは人様から見えないように隠せ”とも解釈ができるようなものだったそうです。(1950年くらいまでは、そんな感じで1987年くらいまで障害者、特に精神医療に対してとても閉鎖的だった)
精神障害の観点からの見方が強い話になりました。祖母は身体障害でしたが、僕が小学生くらいの頃(多分中学生位まで)車いすに乗った祖母への目線が奇異感じて、子供ながらに心がざわざわしてました。
“心のバリアフリー”なんて聞かれますが、言われ出したのは2004年。
何が言いたいかって、その時代って、きっと障害者ってだけで自立はできないみたいに閉ざされていただろうし、家族の意見の方が大事で本人の意思は軽くみられたり、ないがしろにされたり、関係ないみたいな時代。制度も今よりぜんぜん充実してない時代を祖母は、生きてきたんだなと。
正直、自分が障害者になってなければ気にもしなかったことだと思うけど、何事も不遇の時代を生きた先人たちのおかげで今があるんだなあと改めて思った。
その時代に生きた祖母に感謝。
人と同じように活動できない身体、引き継いだ病気は、未だ受け入れられないので病気になったことには、本気で感謝なんてできないけどね。(不自由な身体で過ごす)生き様を見せてくれたことに感謝。
はじめは、自分の身体が日々不自由になっていくみたいに感じててホントに嘆いてばかりいた。今は昔よりマシ。
たまにどうやって乗り越えたんですか?って聞かれるけど乗り越えてはない。そう思ってもらったのには光栄です。
周りを羨ましく、ネタましく思うし、嫌だ!と悲しくなったり。(要はネガティブ全開な自分)
でも、それでいいんじゃないかと。
そう思うことって悪いこと?
仕事ができなくなって、初めのうち引きこもっていたので、自問自答する時間はたっぷりあった。(カッコよく言うと自分と対話)
そう思うことは悪いことじゃないと思ったし無理してずっとポジティブになんてならなくていいと思った。ずっとポジティブはしんどい、できる人がいっちゃってるんじゃないかと笑
結果、ちょっとハードルが下がった。下げようとしたんじゃなくて、下がってた感じ。
全開のネガティブもそれを乗り越えようとか克服するのは無理だった。
今の自分も全部を受け入れるのはしんどい。理想の自分とはかけ離れているから。
だからネガティブ全開な自分でもいいと。今の自分、理想とかけ離れている自分をちょっとだけ許した。
挑戦(チャレンジって言った方が重く感じなくていいかなー)チャレンジは、 今の自分を受け入れるためにしてるんじゃなくて、幸せな自分で在りたいから。
うまく言えないなぁ笑
ぜんぜん乗り越えてはいないけど、少しだけ大人になった気分だ。おっさんだけど
〜しなければならない。〜すべき。という考え方https://www.guccho-intractabledisease.com/2022/06/19/blog-90/
beとdo 自信の種類 https://www.guccho-intractabledisease.com/2022/06/16/blog-87/