脊髄小脳変性症だった祖母 振り返って学んだ難病とともに幸せに生きる事。

人生2度目の喪主                昨日、祖母が亡くなりました。          大正15年生まれ 94歳

僕が生まれたばかりの頃、祖母は脊髄小脳変性症を発症しました。(40年くらい前)

当時は、まだ原因もわかってなくて、病名すらついていない頃。もちろん指定難病にもなってない頃。

子供の頃、週末になると知らないおばさんが家に来て、1時間くらいかな?おばあちゃんと向かい合って正座して、お互い目を閉じて、知らないおばさんはおばあちゃんに向けて手をパーにして伸ばしたまま。無言の1時間…

今でやっていたので、僕にとってはテレビを見ることも出来ず、毎週末の苦痛な小1時間。

「何やってるんだろう?」「何だこのおばさんは?」「うちのおばあちゃんは何されているんだろう?」とずっと不思議でしたが、今思えばあのおばさんは祈祷師で気を送っていたんだと思いました。

大きくなって祈祷師という存在を知って、地元にもそんな人がいて、昔うちの家に来てたんだとびっくりしました。

僕にとっておばあちゃんは、同じ難病の先駆者。生き方を見せてくれていた1人。

この病気は、さまざまな運動機能が失われていくので、出来ないことがいっぱいあって、やりたい事も憧れで終わってしまうことが多い。でも、ボケない。

70くらいからほぼ寝たきりだったおばあちゃん。やりたい事もできなくて辛かったのかもしれない。

でも僕はおばあちゃんは幸せだったと思う。

祖父が世話をやき(5年前に没)祖父にだけはいっぱい甘えて、やきもち焼いたり、喧嘩したり、怒ったり泣いたり笑ったり…

家族の中の夫婦という小さな小さなコミュニティの中で、言いたいことちゃんと言って堂々と生きていた。

よく笑っていた。

どんどんできないことが増えていって不自由になっている頃もおばあちゃんが嘆いたり、落ち込んだり、絶望して荒れているところを見たことがない。

落ち込んで、家族を傷つけている自分が恥ずかしい。

晩年、胃ろうが必要になり施設にいたおばあちゃんは、介護士の方が亡くなりそうなのに気づき、おばあちゃんの好きな軍歌を歌ってもらいながら、その温もりの中で眠るように息を引き取ったと教えてもらいました。安らかな最期。

おばあちゃんありがとう。またいつか。